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夜中に降った雪で、都心でも数センチ、郊外のこの近辺は10センチ位はあったのでは。夜明けとともに晴れてくる。 日の出前 6時過ぎ マンションの部屋から ![]() ![]() 暮れ以来、片付け、引っ越し、と忙しかったので、しばらく芦花公園へも出かけられなかった。10時すぎから、煌めく雪を踏みしめて外周を一回りした。解けかけた雪は滑るので用心しながら歩く。空気は冷たいが、穏やかな青空、歩けば汗ばむほどの暖かさなのに、人出は少ない。大木の下を歩くと、氷の礫が落ちてくる。当たると痛い。道は、霰が降ったように氷の粒が敷き詰められている。ざくざくと音を立てて歩くのは楽しい。 蝋梅が雪を被って芳香を放っていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 徳富蘆花夫妻のお墓に詣で、蘆花恒春園にも入ってみる。秋水書院の説明板を読んでいたら、奇しくも今日は、幸徳秋水が大逆事件で処刑された日。文学散歩らしき一群が、陽だまりに固まって説明を聴いていた。 ![]() ![]()
毎年この時期、書展に出品している故郷の従兄の娘一家が車で上京した。40数日も雨が降らず、乾燥注意報が出るくらい好天続きだったのに、滞在期間中はずっと霙か雨だった。期待していたスカイツリ―は半分は雲の中。それでも精力的に歩き回り、買いものも、行きたいところへも行けたという。 「独立」展へは毎年出品し、よい評価を受けていて、今年はひとつ上に昇格できるのだとか。地方に居ても、中央で評価してもらえるとは、彼女の努力もたいしたもの。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 展覧会を見た後、知人に六本木のレストランへ招待してもらった。故郷の私の家を時々利用してくれている人、従兄の娘は料理も上手。いつも島に滞在中は、家が近いのでおかずを貰っているから、とご馳走してくださった。私までご相伴。 故郷の高校の同級生がオーナーということだったが、洒落た店、とても美味しかった。引っ越しの合い間の、ほっと一息つける時間、ワインもいただいてほろ酔い加減、ほかほかといい気分で帰ってきた。
16日、キャンセルが出たからと、急に「おとこの台所」にお招きいただいた。月曜日、グループでパソコンの勉強会をやっている会場からほんの100m、「ふれあいの家}が会場。勉強会はいつも弁当持参だが、弁当を持たず、500円で、近所で食事させてもらえるのだから、、これほど幸せなことはない。来月からは、グループの何人ずつ分かれて参加させていただくようお願いしておいた。 今回の献立は、「桜ご飯」「海老と鶏挽肉の春巻き」「牡蠣となすのチリ―ソース」「きゅうりと豚肉のスープ」、どれも彩りよく、味のバランスもよく美味しかった。春巻きの中身に、はんぺんが入っていて、もっちりと柔らかな食感は初めて。牡蠣のチリ―ソースも子供でも食べられる辛さ、いつも経済的で美味しいレシピはひとりの男性が考えているそうだ。 レシピのページ番号は300以上。只今メンバーは214名。人気のあるグループなので、何か所にも分かれて開催されている。 つい食べるのを急いで写真を撮るのを忘れてしまった。楽しそうな食事風景だけでも。 ![]()
元日 夜明けとともに、近くの氏神様へ初詣に出かける。神社はこの時間なら空いている。午後長男一家がお参りしたときには1時間待ち。 ![]() 今年から住むことになるマンションの11階まで上がってみたが、下の方に黒い雲が広がっていて、初日は拝めなかった。 ![]() ![]() 2日 8時半高尾山口駅集合で、長男、孫3人と、例年通りリフトで登る。時間が早いので待ち時間なし。10時前には山頂に立ち、もみじ台まで行ってみたが、電車では見えていた富士山に雲が掛っていた。 ![]() ![]() シモバシラも、高温と乾燥で期待していなかったが、やっぱり駄目だった。山頂でおでんとおむすび、甘酒、ケーブル下まで下りてお蕎麦を食べた。この頃にはケーブルもリフトも長蛇の列。 12時過ぎの電車に乗ったので、箱根駅伝のゴールにぎりぎり間に合った。往路優勝は東洋大、2位早大。 5日、引っ越し屋を頼み、大きな家具を運び込んだ。電気製品の据え付け、インターネットの接続もそれぞれ頼んだが、はからずも大安、初荷。そして来てくれた人達がみんな気持ちのいい人たちだった。気分のいいスタートが切れたことは、今後の生活が祝福されたようで嬉しくなった。 手伝ってくれた嫁さん2人、孫たち、みんなありがとう。 荷物を全部運びきれた訳ではないので、完全引っ越しは半ばごろ。まだまだ小さいものは残っているので、家の片付けはしばらく続く。カーテンや新しく買うものも沢山ある。 大きな家具の行方を心配したが、貰ってくれる人も決まり粗方片付いた。植木や小さな花たちの身の振り方も考えなければ。
いつも心のどこかにひっかかり、時折ふっと心配していたことが、3月11日ついに起こってしまった。東北の広い範囲が被災し沢山の命が失われた。早や10ヶ月、悲しみ、失意のどん底から、人々は助け合って立ち上がろうとしている。 東京でさえ余震に怯え、放射能の拡散を怖れて、浮足だっているうちに、季節はあっという間に移ろい、今年もあと数時間になってしまった。 7時15分から紅白歌合戦が始まり、いまこどもスペシャル、芦田愛菜ちゃん、鈴木福君の可愛いこと。愛菜ちゃんは、一番小さい孫に似ているような気がしてつい見入ってしまう。 震災、原発被災の東北の皆さんも、きっと若い歌声に元気を貰い、笑顔になっておられることだろう。 来年こそは、すべての人によき年でありますように。 1月 暮れに山口県に住む叔父が亡くなったが、帰れなかったので、新年早々叔母の見舞いを兼ねて出かけたが、その叔母も叔父に遅れること2週間で亡くなった。会った時は元気で、そんなに早く逝ってしまうとは思いもしなかった。待っていてくれたように昔話が沢山できて、叔母にも喜んでもらえた。。 ![]() 2月 叔父叔母の葬儀に帰れなかったので、50日祭にみんなで集まることになった。 2人とも高齢だったので、悲しいというより、従弟同士を引き合わせてくれた、と久しぶりに会えたことを喜び、再会を約して別れた。 アメリカ在住の娘が帰国したので、伊豆、熱海や鎌倉などへ出かけ、下旬には友人と飛騨高山、金沢、永平寺なども訪ねた。 ![]() 3月 東北大震災は,TVで国会中継を見ているとき、地震警報が出て、立ち上がる間もなく揺れ出した。家の中を右往左往しても収まらない、庭に出ても、道に出てみてもまだ収まらない、石灯篭が倒れ、置物が落ちたのも気が付かないくらい大きな音がしていた。TVはすぐ地震情報に切り替わり、じきに津波の実況放送になった。昼間なので、すぐにあちこちから津波の情報が入ってくる。東京では、帰宅難民が出て、近くの甲州街道も夜中歩きで帰宅する人が絶えなかったという。 以後何カ月も、かすかな揺れにも怯え、地震警報の鐘の音に動悸が収まらなかった。 2万人以上の命が失われ、甚大な被害を及ぼした東北大震災、東京にも30年以内に起こるかもしれないという。福島原発の放射能はいつ収束するのだろう ![]() 4月 昨年暮れで幕を下ろした「歩く会」の「お花見会」を約束していたのに、花の便りは聞えてきても、出かける気力はなくなってしまった。電車の遅れ、運休を心配して誰も出かけたがらない。近くの神社、公園の桜で今年の花見は終り。脱原発の映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見に行く。 ![]() ![]() 5月 連休明けから善光寺、上高地、乗鞍方面へ出かけた。ちょうど朝のTVドラマは、信州が舞台の「おひさま」、安曇野の春ののどかな風景、雪にかがやく山々を見られて盛り沢山の旅だった。今年の紅白の司会は、「おひさま」主演の井上真央、子供を演じた小さな女の子にもちょっとだけ再会できた。 ![]() 6月 古い友人の集まる会が、伊東であり、伊豆山神社や箱根神社にお参りして、山のパワーを貰ってきた。梅雨時の花が美しいころ、下田のニオイバンマツリ、紫陽花、箱根湿性花園の花々が印象に残っている。小笠原流宗家のご長男の結婚式にお招きいただいたことも嬉しい出来事だった。庭の梅が50キロくらい実をつけた。 ![]() 7月 安房鴨川へ。アンティークホテルへ泊まるのが目的だったが、途中の観光を組み込んでみなさんに喜ばれた。野島崎灯台は年末に有形文化財に指定される。 ![]() 8月 月初めから故郷の島へ帰り、2週間滞在した。この夏は次男一家が一緒だったので、山口、岩国、宮島、広島と観光することも出来た。やっぱり故郷の海も山も素晴らしい。毎朝海辺へ行ってみる。山から絶えず涼しい風が吹き下ろし、クーラーなんかいらない。友人にも沢山会うことが出来たが、亡くなる人も多くなり、知らない人が多くなった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 9月 台風が四国、紀伊半島に居座り、各地に大きな爪痕を残した。東京でも風速40mを記録する台風に襲われ、帰宅難民が多数出た。 いま10時前、平原綾香が「おひさま」の主題歌「大切なあなたへ」を歌っている。 10月 地球上の人口が70億を超えた。2050年には90億になるというが、子や孫たちの将来はどうなっているだろう。取り越し苦労をしても仕方がないが、この美しい地球が何時までも保たれますように。 家族構成が変り、今の住まいが高齢者には住みにくくなってきた。育て続けて来た植物との別れは寂しいが、生活を縮小することにし、1月中旬近くのマンションへ引っ越すことにした。永年溜まりに溜まった荷物の片付けは、つい手が止まってしまい、なかなか捗らない。 月初め、もう持ち切れない雛人形に別れを告げた。人形供養をしてくれるお寺には、新しい人形も沢山出されていた。 ![]() 片付けに追われながらも、震災以来延び延びになっていた「歩く会」の久しぶりの顔合わせをした。再会を喜び、皇居東御苑から日比谷公園、増上寺まで。 ![]() 11月 故郷へ秋には帰ろうと思いながら果たせなかったが、みかんを作りに帰る人に、家を時々貸している。開けて貰うだけでもありがたいが、古い家を気にいって喜んで下さっているのが嬉しい。みかんを沢山もらった。 故郷の親戚から、米、味噌、ジャム、野菜や果物、魚まで何度送ってもらっただろう。 12月 片付けは遅々として進まないのに日はどんどん過ぎ去っていく。腹を括り、まとまらないものはもう諦めることにした。少しずつ身軽になっていかなけばならないのだから。 紅白もいよいよ終盤。今年は美空ひばりの二十三回忌、天童よしみが「愛燦燦」を歌っている。 来年は、新しい場所で再スタート。ドアひとつ閉めれば出かけられるマンション生活は楽しみでもある。事故、健康に気を付けて、少しでも人様のお役に立てればと思う。 平和で、天変地異も、病気の蔓延もありませんように。無事に過ごせたことを感謝しつつ新しい年を迎えたい。 いよいよ最後の歌、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」。 皆さんどうぞお元気で佳きお年をお迎えください。読んで下さってありがとうございました。
以前から行きたかった平成中村座へ招待してもらい6人で行って来た。快晴の隅田川沿い、スカイツリーを眺めながら、隅田公園を抜ける。完成間近のスカイツリ―が青空に美しい。桜並木はすっかり葉を落とし、木漏れ日の中、東京大空襲慰霊碑にも手を合わせる。平成中村座の幟に従い20分掛けて到着。幕間に食べる弁当を買って入る。 ![]() ![]() ![]() 昔は母や叔母たちと歌舞伎座へはよく行っていたのに、近年は数年に一度になってしまった。役者もすっかり代替わり。現勘三郎がまだほんの子供だった頃、お父さんの勘三郎が好きで、今も甦る場面が沢山ある。数十年の年を経て、あの勘九郎坊やが座頭、子供さんたちの活躍が話題にのぼるようになった。今回の出し物は、昼の部、「菅原伝授手習鑑」車引、賀の祝、寺子屋。役を入れ替わりながら演ずる若い役者たちに先代の面影を重ね、50年の歳月が走馬灯のように駆け巡った。 浅草は平成中村座旗揚げの地、大阪、名古屋、NYなどを廻り、再び東京へ戻ってきた。来年5月までロングランとのこと。昔の芝居小屋を思わせる仮設の小屋、公演が終わると取り毀すという。1階前の方は平場席、座布団に坐って見る。振り返ると2階中央衝立の前には4席のお大尽席。幕間には売り子が菓子や土産ものを売りに来る。江戸の芝居小屋にタイムトリップして芝居を愉しんだが「菅原伝授手習鑑」寺子屋は悲しい芝居。義太夫節の熱演に涙がこぼれた。周りの人もみな目を腫らしていた。見たいと思っていた芝居が見られて何と幸せなこと。 ![]() ![]() ![]() 冬の陽は釣瓶落とし、陽が傾くと急に寒くなる。浅草駅までタクシーに分乗する。
慌ただしく日々が過ぎ去り、渋谷廻りで出かけても通り過ぎるだけで、ハチ公前まで下りてみたのは1年振り。時間に余裕がなかったので、ちょっと周りの風景を目に納めただけだったが。12月1日、表参道のイルミネーション点灯日にも、雨の中、表参道から原宿まで歩いたが、9時過ぎて消灯した後だった。毎年、どこかへイルミネーションを見に行っていたが今年は出かけられそうにもない。1年の何と早いこと。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 都内の紅葉は、今年は遅いということだったが、見ないままに寒くなった。
なかなか時間が合わず、しばらく芦花公園へ行かないうちに、紅葉は色を失い,葉を落としてしまった木もある。雨上がりの午後久しぶりに行ってみたら、秋の花は菊までもすっかり片付けられて、菜の花など、春の花の種まきも終わっていた。もう12月。今年も残り20数日となり、10度を下回る日もあるのだから晩秋と云うより冬景色になるのも当然。 東北大震災以後、落ち着かない日々を言い訳に、季節の移ろいにも目が届かなかった気がする。そろそろ今年の締め括りをしなければ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 帰り道、皇帝ダリヤが咲いていた。 ![]() ![]()
東京国立博物館平成館 法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌の特別展。師と弟子、800年ぶりの再会。 鎌倉時代、浄土宗の宗祖、浄土真宗の宗祖となった2人の生き様や教え、普段は見られない名宝の数々を、3時間かけて鑑賞した。展示替えはあったものの、教行信証、法然上人行状絵図、当麻曼荼羅縁起、山越阿弥陀図、熊野懐紙などの国宝、法然上人像、二河白道図、阿弥陀如来像および両脇侍像、聖徳太子像などの重文も間近に見ることができた。京都や奈良、鎌倉の寺を訪ねて、何点かは以前にも見ていたが、暗くて細かいところまでは見られない。朝一番に入ったのに、次第に混んできた。美しい御仏の前で、しばらく浮世を忘れていたかったが、そうもいかない。難しい教えは頭に入らないが、元気でいる限り、勉強は続けなければ。裏庭をひと回りして帰る。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
10月末、叔母見舞いのため千葉へ行った折、従弟に銚子近くの旭市飯岡漁港と刑部岬(ぎょうぶみさき)、屏風ヶ浦へ連れて行ってもらった。 旭市は3月の東北大震災では、千葉県で一番津波被害が大きかったところ。7m位の津波が4回に亘って押し寄せ、13名の死者が出た。 飯岡の海岸近くの道を走ると、空き地が目立つ。飲食店、海産物の店が沢山あったらしい。がれきも片付けられ、7か月も経ち、夏を越したので、草が生え、生々しくはなかったが、被害の甚大さが偲ばれる。(刑部岬以外に高台はない) ![]() 飯岡漁港は、千葉県第2の漁獲量があるというのに、今回の津波で地名を見るまでは、知らなかった。イワシ、シラス、しらうお、アンコウ、磯がきなど豊富な水揚げがあり、丸干しイワシは、江戸時代から受け継がれている地場産業で、日本一の生産量を誇るという。。 展望館のある刑部岬からは飯岡漁港、九十九里海岸、風力発電の風車が、大パノラマで一望できる。すっきり晴れていれば、富士山も見えるらしい。いつも強い風が吹いているそうだが、この日はとても穏やかだった。展望館の中に、津波の写真も展示してあった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 屏風ヶ浦の断崖絶壁には、通行止めになっていて近づけなかった。刑部岬から銚子市名洗町まで、高さ35~60mの断崖絶壁が約10kmも続くと云う。
夏の花が終り、黄色コスモスとユリオップスデージー、ダチュラも盛りを過ぎた。他家に遅れてやっとエンジェルス・トランペットが咲き始めた。側を通るとほのかに香る。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 東京には珍しく強い風台風が来たあと、庭の手入れもしないまま、おしろい花や朝顔、コスモス、ダチュラなどの種を採ることだけに専念した。うかうかしているうちに冬も目の前。 アロエに花芽が何本もついている。春咲きの球根も芽を出し始めた。 2011.10.25(火) 晴れ 参加9名 大手門10時30分集合 大手門――東御苑――天守閣跡――皇居前広場――桜田門――日比谷公園(昼食)――三田線で御成門――増上寺――大江戸線大門駅 大震災、夏の暑さで、どこかへ行きたいとは思いながら、よい案も浮かばず、気分も乗らないまま秋になり、やっと手近なところで、久しぶりの顔合わせをすることになった。 2,3年ぶりに来た丸の内界隈は、東京駅をはじめ工事中のところが多かったが、皇居は別世界。風もなく、次第にすっきり晴れて来て、最高の行楽日和。紅葉には早いが、秋の花々を楽しみながら歩く。秋明菊、十月桜が満開だった。 ![]() ![]() 3月の東北大震災で大手門の白壁があちこち崩落していたが、まだ修復されていなかった。 日比谷公園で昼食にするため、皇居前広場、桜田門を歩く。何十年東京に住んでも、ここまで来ることは先ずない。歩いているのは殆ど外人観光客ばかり。 ![]() ![]() バラの香りの漂う日比谷公園内の木陰で昼食。サラリーマンの昼食時間と重なったが、三笠山あたりは静かだった。 午後は、増上寺の戦後初公開の三解脱門(国重文)と、徳川家霊廟特別公開を見学。 山門(三解脱門)は、江戸初期の建設当時の面影を残す唯一の建物。仮設の急な階段を上ると、釈迦三尊像を中心に、十六羅漢像、歴代上人像などが安置されている。 振り返ると、大門から浜松町へ続く道、高いビルに遮られて普通の街並みだが、昔は海が見えたらしい。この高さから眺める機会はきっともうない。 ![]() 霊廟は、今年放送中の大河ドラマ「お江」のお江崇源院と秀忠公の墓所が中心。 ![]() ![]() 有章院霊廟二天門 (有章院は第7代将軍家継の院号) 日光東照宮にも劣らぬ壮麗な建物だったが、昭和20年戦災で二天門のみ残して焼けた。保存状態がよくない。右多聞天(北方)、左広目天(西方) ![]() 東京タワーに登ろうかとの意見もあったが、一休みして帰ることにした。大した距離は歩いていないが、久しぶりなのでみんな満足。日も短くなってきた。
9月17日(日)薄曇り 遅く着いたのに出発は早い。空港へ行く前、数年前占拠された旧日本大使館を見る。 ![]() 2日分だけリュックにつめ、重い荷物はホテルへ預けて、9時40分発でインカ帝国時代の首都クスコへ出発。 クスコは3300mの高地にある都市。(リマからいきなり3000mの高地にくると高山病になる。鎮痛剤を飲んでも、コカ茶を飲んでも、酸素を吸っても頭痛は治らなかった。ずっと後を引き、帰国後しばらくは片頭痛に悩まされた。) クスコは茶色の街。上空から見ると土の色しか見えないが、民族衣装の原色はとても美しい。土産物売りの男女はみんな民族衣装を着ている。午後、市内観光に出かける。 カテドラル、サントドミンゴ教会、サクサイワマン城塞などを見物。ガイドは2年くらい日本へ行っていたという男性。冗談が云えるほど日本語がうまい。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 夕食はバスに乗って出かけた。街は暗い。オレンジ色の小さな灯りが、一軒に一灯と云う感じだったが、TVはどこの家にもあった。開けっ放しなので、バスの中から、家の中がまる見え。ホテルは現地風で暗くてよく見えない。さっさと寝るよりほかなかった。 HOTEL SAN AGUSTIN INTERNACIONAL (クスコ泊) 9月18日(月)晴れ クスコからバスで出発。ビルカバンバ山脈、ウルバンバ川など聴き覚えのある地名が出てくる。雪を頂いたアンデスの山々、茶色の耕地、段々畑のある川沿いの道を行ったが、殆ど人影は無かった。ある村で、広島清掃局?と書いてある車が走っているのを見かけた。オランタヤタンボから高原列車に乗っていよいよマチュピチュへ。 ![]() ![]() 列車の中でランチが配られたが、少ししか食べられなかった。きれいに残したものは、子供たちにあげる、と添乗員の話だった。 列車を下りてバスに乗り、ジグザグに登っていく。写真が目に焼き付いているあのマチュピチュへ。とうとうここまで辿りついた、と感激は一入。クスコより約1000m低いので、高山病の頭痛はすっかり治り、歩きにくい石畳も足取りは軽い。 ![]() ![]() ![]() 少し雲がかかり、遠い山の天辺は欠けていたが、永年の憧れの地に立てて満足。再発見されて、まだ100年あまり、ここが数百年も発見されないまま眠っていたなんて。 ![]() 下るとき、バスを「さよならボーイ」が追いかけてきた。知ってはいたが、上手い具合に出会えて嬉しかった。添乗員に、「チップを上げて、学資になるのだから」、と云われて、みんな奮発しておいてきた。この奥地マチュピチュの地にも、日本人の若者が住みついていて、土産物を売っていた。現地の女性と結婚しているという。すべての面で、日本とは格段の差のあるこの国での生活は、さぞかし厳しいことだろう。。 夜は、クスコへ戻って、OPの「フォルクローレ」の夕べへ。馴染みのある演奏を聴きながらの食事だったが、眠くてたまらず、クスコへ戻るとまた頭痛もぶりかえした。 (クスコ泊) 9月19日(火) 晴れ 朝の光にもくすんだ街クスコともお別れ。もう再び来ることはない。原色の民族衣装の鮮やかさが忘れられない。テーブルクロス用に、ざっくりとした風合いの生地を買った。 飛行機が飛び立つと、土色の家並みは、あっという間に大地に溶け込んでしまった。 リマの空港から、すぐにナスカ行きに乗り替える筈だったのに、故障機が出て、やりくりが付かないと、どんなに粘っても、結局ナスカ行きは不可能になった。それならば、有名なアマノ美術館でも、とみんなで頑張ったが、予約なしでは駄目だった。 市内観光と、土産物屋で終わってしまったのはちょっと心残り。 夜遅くロサンジェルスへ向け出発。それほど遠いとは思っていなかったが、12時間くらい掛ったのでは。 (機中泊) 9月20日(水)晴れ ロサンジェルス観光。ビバリーヒルズ、リトルトウキョウ、サンタモニカ海岸、ドジャーススタジアムなど。ロングビーチに住んでいる娘が来てくれて、友人、同行の人たちを誘って、ロングビーチの娘の新居へ。まだ新婚半年、ロングビーチ・ネープルズの海辺のアパートに住んでいた。窓から、出入りするヨットが見える。ここには3,4回来ていたが、初めての人たちにのために、海岸線をドライブした後ホテルへ送ってもらう。旅行会社の配慮で、夕食を一緒させて貰うことができた。最後の食事は日本食、久しぶりの日本食を娘は喜んだ。 ホテルは HILTON LOS ANGELES AIRPORT (ロス泊) 9月21日(木) 晴れ 日本 9月22日(金) 10時過ぎ、帰国の途に。約2週間の旅だったが、欲を言えば、もう少しゆっくり出来ればよかった。時間的にも、体力的にも、これが限界だったかもしれない。イグアスの滝だけは雨に遭ったが、他は大体天気に恵まれた。数々の世界遺産を見ることができ、元気で帰って来ることができた。同行の皆さん、家族、周りのお世話になった皆さんありがとう。 ![]() ![]() ![]()
9月14日(木)くもり 時々雨 早朝、イグアスへ飛ぶ。余裕のない旅なので、早朝出発が多い。10時40分にはイグアスに着き、すぐ滝観光に出かける。イグアスとは、大きい水の意。 ![]() ![]() ![]() 1892年、初めて地図に載るようになり、世界中に名前を知られるようになったが、それまではナイヤガラの滝が世界一だった。 落差40m~80m。幅4.5km。ブラジル、アルゼンチン、パラグアイの3国に跨り、大小300の滝からなる。 この年は雨が多く、平年より16m水位が高いと。ガイドは熊本県から戦後移民したという女性。上品な、和服を着れば、今の日本人より余程なよやかな日本女性。70歳を過ぎているというのに、元気のいいこと、滝つぼまで行く揺れる船に、先頭に乗って手すりも持たないでバランスをとっていた。 ![]() ![]() ![]() 空がくっきりと晴れていれば、白いしぶきがもっと美しかったと思われるが、物凄い水量で、遠目がきかないほどの水煙だった。陽がさせば、虹も見られた筈だったが、「悪魔ののど笛」も霞んでいた。足元が濡れて寒くなり、風邪をひいたよう。寒気がするので夜は早く寝る。 HOTEL CARIMA (イグアス泊) 9月15日(金)イグアス雨 ブエノスアイレス晴れ イグアスからバスで国境を越えて、アルゼンチン側からイグアスの瀧を見る。この地方独特の植物など見ながら散策したが、物凄い水量に引き込まれそうになる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 午後、ブエノスアイレスへ向け出発。ブエノスアイレスは晴れ。ホテルへ向かう途中の海が、何とも言えない濃い茶色。どうしてこんな色をしているのだろうと、不思議だったが、これは海ではなく、ラ・プラタ川。河口が70kmあるとか。向こうに何も見えないので、海と勘違いしてしまった。 夜は食事つきアルゼンチンタンゴショー。 ![]() HOTEL CONTINENTAL (ブエノスアイレス泊) 9月16日(土)晴れ 朝早く起きてホテル近くを歩いてみる。さすがアルゼンチンの首都、南米のパリと云われるヨーロッパ風の美しい街並み、広い道路。 「コロン劇場」、国会議事堂、フォロリダ通り、ラ・プラタ河畔、エビータの墓、ボカの「カミニート」など観光して回る。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 昼食はアルゼンチン風ローストビーフ。 夕方7時過ぎ、ペルーの首都リマへ向け出発。途中チリ、サンチャゴでトランジット。 ロスの娘婿のお母さん用に、チリワイン3本買う。リマ着午前1時。 HOTEL JOSE ANTONIO (リマ泊)
南米ゴールデンルート世界遺産紀行 14日間の旅 ーⅠー 9月9日(土) 19:00発ヴァリグ・ブラジル航空にてサンパウロへ。 ロサンジェルスにて2時間トランジット。(機中泊) 9月10日(日)晴れサンパウロ着5:40 ホテルにてシャワー、仮眠をとる。 昼食後市内観光に出かける。 サンパウロは海抜700mの高地にあり、平均気温18℃の快適な気候に恵まれている。超高層ビルと美しい公園、はりめぐらされた高速道路によって、南米のニューヨークとも云われる。歴史的名所旧跡も多く、ポルトガル植民地時代の豪華な邸宅も保存されている。産業の中心都市であるだけではなく、文化都市、観光都市でもあり、ブラジルの文化活動の中心地である。 プランタン研究所、イビラプエラ公園、大学都市、東洋人街などをざっと見学。 34歳で事故死したアイルトン・セナの眠るモルンビー墓地も訪ねた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 夕刻には空港へ行き、アマゾン川の中心地、マナウスへ出発する。日程は立て込んでいるので、サンパウロもゆっくり見てはいられない。もう再び来ることは無いだろうから、苦労した日本人移民の開拓の歴史などもっと知りたいと思った。 20:15発マナウスへ。ホテルへ着いたのは深夜。この1日、ろくに寝ていないのだから、早く寝なければ。ブラジルは広い。日本の約23倍。 (マナウス泊) 9月11日(月)晴れ マナウスはアマゾン川を遡ること1400km、南米大陸北部のど真ん中。ここまでくることがあるとは、ほんの数カ月前まで考えたこともなかった。 ホテル近くから船に乗り、アマゾン川クルーズに出発。 見どころは、アマゾン七不思議の一つ、ソリモンの奇観が見られる合流点へ。アマゾン本流とネグロス川の、色の違う水が、数10km混じり合うことなく流れる。くっきりと色の分かれているところ、ミルクコーヒーのように渦巻いているところ、まさに奇観だった。 ![]() ![]() 観光船からカヌーに乗り替えて、昼食は水上レストラン。アマゾンのど真ん中にいることを忘れるような豪華版だった。午後は、小さなカヌーで、支流のジャングルを縫い現地人の家を訪ねる。水上に今風の建物も点在していたが、現地人は陸地を水位によって移動するらしい。水上土産物屋では蛇(ボア)と一緒に写真を撮った。 ![]() ![]() ![]() ![]() その後ピラニア釣りにも挑戦する。猛魚と云うが、手のひらにも満たない大きさ。手袋をしていれば怖くはない。帰りの船の中で、から揚げにして食べたが、あっさりして美味しかった。 ![]() ![]() 帰りの船から、アマゾン川に沈む夕陽。雲が出てきて、周りは真っ暗になったが、太陽の周りだけぽっかりと雲の隙間があり、一期一会の夕陽を拝むことが出来た。 TROPICAL HOTEL MANAUS(マナウス泊) 9月12日(火)晴れ マナウス市内観光。先ず、浮き桟橋。アマゾン支流の村々を行き来する船が、犇めき合っている。 ![]() ![]() マナウスの胃袋を満たす、市場も覗いてみたが、広い。巨大な魚(ピラルクなど)がごろごろ、野菜、バナナも山と積んであった。 ![]() マナウスは、100年くらい前、ゴムの集積地として栄え、パリのオペラ座を模して建てられたアマゾナス劇場がある。繊細な内装、絵画で黄金時代を偲ばせる世界有数のオペラ劇場と云われている。5階のボックス席、700人を収容できる。 ![]() ![]() ほか、自然科学博物館なども見て、午後リオ・デ・ジャネイロへ向け出発。約6時間のフライト。夕食は機内。 ホテルはコパカバーナ海岸近く。 MIRAMAR PALACE HOTEL (リオ・デ・ジャネイロ泊) 9月13日(水)くもり リオ・デ・ジャネイロ市内観光。リオ・デ・ジャネイロとは、1月の川。巨大なキリスト像に抱かれた風光明媚な都市、リオ・デ・ジャネイロは、永年の一番の憧れの地だった。 先ず最初に、ケーブルで砂糖パンの山(ポン・デ・アスーカル)へ。少し曇ってはいたが、それでも360度見渡せる。 ![]() ![]() ![]() 続いて、いよいよコルコバードの丘へ(標高710m)。振り返ると、美しい海岸線、島々、ポン・デ・アスカールが下に見える。永年の夢、キリスト像の足元までやっと来られた。昔見た映画のシーンが浮かんでくる。感激一入、それにしてもブラジルは遠い。移民船で来た人たちに思いを馳せる。再び見ることはない風景を目に焼き付けた。 ![]() ![]() ![]() 有名なイパネマ海岸、コパカパーナ海岸なども見て、昼食は、ブラジル名物シュラスコ料理。濃厚な美味しさだったが、特に緑の炒め野菜が美味しかった。 ![]() ![]() サンセバスチアン教会、マラカナンサッカー場(記念にTシャツを買った ペレのプレート)なども見る。 ![]() ![]() ![]() ![]()
近くの念仏堂で、人形供養をするというチラシが9月半ばに入った。今流行りの断捨離ではないが、そろそろ物を減らしていかなければ、と考えていたところだったので、思い切って、お雛様と古い人形(外国の)にお別れすることにした。 段飾りなど、そうそう買えなかった戦時中、両親が一人娘のために買い整えてくれた雛人形は、どんなに古くなっても、捨てられなかった。転居しても、子供たちが居なくなっても、毎年床の間に飾り続けてきた。赤い毛氈のなんと華やかなこと、春のひととき、子供に返り、胸ときめかせ、思い出にひたったものだった。 ちょっと得意だった子供のころの雛祭り、友だちのこと、娘、孫たちに囲まれての雛祭り、去来する出来事はみな懐かしく、別れた人々への思いは物悲しい。 指定された時間に念仏堂へ行って見ると、祭壇にはぎっしり供養される人形が飾られていた。約5000体。 ![]() 今年は、東日本大震災犠牲者と、多くの流された人形の供養も合わせて行い、供養料の一部を被災地へ寄付するという。住職の読経に始まり、参列者の焼香、来賓の挨拶、寄付金の贈呈式など約1時間、最後に三重奏の生演奏に送られ、人形の来世の幸せを祈りながらお別れをした。 ![]() ![]() 惜しいような立派な人形が沢山あった。人それぞれ別れなければならない事情があり、やむを得ず別れることになったのだろう。 70年の思い出は限もなく、アメリカ、ロシア、北欧、アフリカなどから、はるばる日本へ来てくれた人形との別れは寂しく、しんみりと、冥福を祈らずにはいられなかった。 今年は彼岸花が10日も遅く、帰り道、紅白がまだ美しく咲いていた。 ![]() ![]()
お囃子の音に誘われて駅前広場へ行ってみた。近くの神社の秋祭り。例年になく人出が多いようだ。台風一過、夕方は気温が下がり、浴衣や法被を着ている若い人たちは寒くなかっただろうか。 神社へお参りし、ひと回りして帰る。8時過ぎ、近くに住む息子一家がやってきた。 男の子の孫はお祭りが大好き。綿菓子やお好み焼きなど買ってもらい、何かゲームでもやったのかな。 ![]() ![]() ![]() 彼岸花が今年は少し遅れて咲き始めた。庭の草花を花瓶に活けて、身近に秋を楽しんでいる。 ![]() ![]() 商店街の裏側を歩いていたら、真っ黄色の弾けた実を見つけた。ゴーヤの実だと思うのだけど。 ![]()
台風一過、気温が下がり、一気に秋めいて来た気がする。 芦花公園へ行って見た。花の丘の、ひまわりやコスモスは、傷めつけられて、片付けが始まっていた。黄色コスモスだけは、倒れながらも残っていたが、周りの木々も、風に揉まれて、葉は傷だらけ、白っぽく変色しているのもある。 ![]() ![]() ![]() 根こそぎ倒れた木の根を見て驚いた。広い公園に植わっている木なので、どんなに伸び伸びと根を張っているかと思いきや、根周りの小さいこと、これでは倒れても仕方がない。 ![]() ![]() この木の近くのキササゲは?と心配になり、行ってみたら、葉が繁っているときには気付かなかったが、3方向にワイヤーで引っ張って固定してあった。 TVで、木偏に秋という字「楸」を何と読むか、と云っていたが、「ひさぎ」、キササゲのことという。今ごろ、長い実が生っている筈なのに、何にもなくなってしまった。
台風15号は、全国各地に大きな被害を残して北の海に去った。東京でも風速40メートル以上吹いたところもあったとか。 TVは朝から、台風関係のニュースばかり。4時頃から次第に風雨が強くなってきた。東京は、今まで大きな被害が出るような台風に遭っていなかったので、誰もみな甘く考えていたのかもしれない。風速は2,30メートルでも、交通機関は止まる。帰宅困難者であふれる駅構内の様子を、東京、新宿、渋谷などから中継していたが、地方では、もっと強い風が吹いても、こんな騒動にはならない。人口も少なく、電車早く止まり、用心して出歩かない。都会では、何か交通機関が動いていれば、沢山の人が動く。吹き飛ばされたり、流されたりする人はいなくても、帰宅困難者は当然出てくる。こんな大きな台風は滅多に来ないが、もっと早めに帰り始める、出歩かない、帰れない人は無理に帰らない、など、決めておくことは沢山ある。震災は突然起こるが、台風の進路は予測できるのだから。 21日 午後4時頃 まだ風は強くない ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 北上するに従って速度を速めたので、朝はすっきり晴れたが、この頃、東北、北海道では、まだ大きな被害が出ていた。
9月半ば、日の出が5時半前後、夏至のころよりは1時間くらい遅くなった。 残暑厳しく連日気温は30度を超えるが、周りの風情に何となく、秋が感じられる。 震災から半年、雪のちらつく日もあったのに、酷暑の夏をやりすごし、人々は、元気を取り戻しつつある。何の役にも立たない私だけど、復興に尽くす現地の人々の活躍を見聞きするたびに、却ってこちらが、力を貰っているような気がする。 今年の中秋の名月(12日)は、ぴったり満月となり、澄んだ空に一際美しかった。 旧暦の8月15日と月齢が重なることは少ないらしい。 新聞に、たった1本残った陸前高田の一本松に掛る月が掲載されていた。景勝地高田松原で、津波に耐えてやっと残ったのに、衰弱が進んでいるという。復興のシンボル、何とか持ち直してほしい。 朝5時過ぎ、ふと東を見ると丁度日の出の時刻。北へ寄っていた太陽が南へ戻り始め、ほんの2,3日、建物の間から日の出が見える。 ![]() 今年は迷走する台風が次々発生する。12号は長時間ふらついて、各地に大きな爪痕を残した。紀伊半島の堰きとめ湖は、台風は去っても住民を脅かし続けている。 今15号も、沖縄地方でほとんど足踏み状態、遠く離れた本土の各地にまた大雨をもたらしそう。少しの雨でも、堰きとめ湖が溢れ、新たな土砂崩れの心配もあるという。 みどり豊かな紀伊半島の森林に思いを馳せながら、台風の進路を睨んでいる。 ![]() 庭隅にひっそりと西洋風蝶草(クレオメ)が咲いて、日毎に秋が深まっていく。
ニューヨークの9.11から満10年、東日本大震災3.11から半年、犠牲になった人々の冥福を祈り、平穏な日々が送れるよう、早朝近所の神社へお参りした。 芦花公園への散歩の道々、夏の花が元気に咲いている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本橋野草園の前を通りかかったら、お婆様は駐車場の草取りをしておられた。 朝の涼しいうちに草を取っておけば、昼間の暑さでカラカラに乾く。草取りのために雇った人も、涼しい時間にきてくれるので、一緒に少しの間働いていると。高齢なのに、うまく時間を使って、いつも庭の手入れをしておられる。だから、野草園には無駄な雑草は1本もない。いつもお会いする度にいろいろ教えてもらい、植物の話はきりなく続く。 ちょうど秋の彼岸に合わせて花を咲かせる彼岸花、もうぽつぽつ花芽を覗かせ始めた。
昨日朝5時過ぎ、異様な明るさに、東の空を見ると、怪しい雲行き。台風12号が近畿、東海、関東へも影響を及ぼしながら近づいているので、そのせいかもしれない。 日の出の一時、雲が切れてこんな色になったのかもしれないが、あっという間に色は褪めた。 ![]() 1日なので、近くの氏神様へお参りする。いつもの道を歩いていて、歩道脇の低い枝に目をやったら、ちょうど蝉が羽化するところ。家の庭にも、蝉の穴も、抜け殻も沢山あるが、まさに羽化する瞬間を見たことはなかった。夏も終わり近くなって羽化し、あと何日生きられるのだろう。鳥たちに見つからないで、と、祈りながら、生命誕生のドラマを見させてもらった。 ![]() ![]() ![]() 10年くらい前から、歩くたびに種を蒔いていたおしろい花が、今年も暑さに負けずに咲いた。昼間暑さでよれよれになっていても、夕方にはピンと元気を取り戻して、芳香を放ちながら咲く。この花の逞しさと可憐さが好き。空き地にもっともっと増やして、地面の灼熱化を防げれば、と思う。 ![]()
朝一番に入ろうと、「空海と密教美術展」を見るため、国立博物館へ出かけた。夏休み中なので、小中学生、地方からの来館者も多かった。午前中でも、蒸し暑く、汗が噴き出る。木陰の道を選んで歩いたが、噴水公園は改修中で水音が聞こえない。この日午後は、記録的な集中豪雨に見舞われた。 ![]() ![]() 東寺、醍醐寺、神護寺、展覧会などで、仏像や書は、既に何度か拝み、目にしたものも多かったが、よい物には何度でもお目にかかりたい。展示の90%以上が国宝、重要文化財と云われる今回の特別展は、もう再び巡り逢うことはないと思っていた、空海直筆の「風信帖」「聾瞽指帰」「潅頂歴名」「金剛般若経開題残卷」「大日経開題」、「両界曼荼羅図」などに再会することができた。1200年の時を経たとも思えない美しさ、特に、直筆の書は、このような機会でなければ、年代による書風の変化を見ることは出来ない。万能人間空海が、中国から請来したものが、どれほど後の日本の密教、文化に大きな影響を与えたか、たっぷり3時間曼荼羅パワーを浴びて来た。 ![]() ![]() ![]()
故郷から帰ってあっと云う間に10日も過ぎてしまった。2週間近く留守にすると、庭の草はぐっと伸び、初秋の花が咲き始めていた。 ![]() ![]() 猛暑で水不足のせいだったのか、今年は茗荷の出が遅かったが、帰ってきたころから、やっとぽつぽつ出始めた。薬味に使い、天ぷらにもして、毎日大地の恵みをいただいている。放射能の心配が無いわけではないが、内部被曝しても、もうこの歳になれば、寿命に変わりはないだろう。 ![]() ![]() 夏の間は、地面が焼けないために、茗荷や紫蘇、おしろい花を、庭いっぱいに繁らせている。百日紅や槿、エンジェルス・トランペットの陰も大きい。今年は特に、緑のカーテンが奨励されたが、木陰はありがたい。 このところ大気が不安定で、昨日は関東や関西でも、突然のゲリラ豪雨に見舞われた。 1時間当たり80mm以上の記録的豪雨、庭が池のようになった。周りが白く見えるような猛烈な降り、玉すだれが面白く、軒下に佇んで、濡れるのも構わず眺めていた。 ![]() ![]() 台風11号、12号も北上中。昔から二百十日は荒れると云っていたが、日本への影響は? 大西洋ではハリケーンが、ワシントン、ニューヨークへ接近中、避難指示も出ているとか。
8月16日(火)晴れ 例年より早く帰省したので、早く帰京しようと、荷造りと戸締りを始める。会いたい人には会ったし、用事はみんな片付いた。昼間は暑いので、本を読んだり、ウトウトしたり。暑いといっても扇風機を点けるほどでもない。 「もっとのんびりしたら」とみんな云ってくれるが、東京へ帰れば、行きたい展覧会もいくつかある。新聞も溜まっている。今日は、4年に1度の九品仏(淨心寺)の二十五菩薩お練り供養だった。毎年20日頃までいるので、京都の送り火も見たことはない。間に合わないがのんびりしたので、明日は帰えろう。 地面が焼けないために、南側一面におしろい花を植えている。11月には帰って花がらの片付けをしよう。 ![]() ![]() 8月17日(水)曇り 雨少しぱらつく。光市の叔父叔母の墓参りに従弟が誘ってくれた。そのまま広島へ出て、東京へ帰ることにする。9時出発。観光センターで叔父の好きだった瀬戸貝ご飯を買おうと思ったが休みだった。ここのえびカツは美味しいので、この夏も2回買った。 普段は閉めてあり、誰もいないと思った叔父の家に、従弟が帰っていた。今日もう東京へ帰るという。広い広い家のまわりは、草茫々。広すぎてこれからどうして維持管理するのだろう。 柳井まで送ってもらう。時間があったので駅前を歩いてみたら、13日の「金魚祭り」の後片付けの最中だった。駅前は道幅が拡がり、きれいにはなったが、人影は少ない。 ![]() ![]() ![]() ![]() 11時半頃の電車で広島へ出る。盆明けで一番混む時期なので、広島始発に乗ったが、発車時すでに立っている人もいた。 6時前東京着。湿度の高い暑さに、どっと汗と疲れが噴き出した。猛暑の東京を、2週間近くも離れていられて、故郷のあるのはありがたい。台風も来なくてよかった。空き家にしている故郷の家は、親戚、友人知人に見守られている。何にも故郷へ貢献出来ないのに、いつも温かく迎えてくれる人たちがいて、楽しい日々を過ごすことができる。皆さんありがとうございました。
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